とある若者の全て②

 5,000m 17分51秒。

自分の高校生時代の陸上の記録である。

 4km 17分41秒。

これは一昨日、地元でランニングした時の計測タイムだ。

過去の引き締まった体は見る影もなく、一番痩せていた時期からは約20kg体重が増えてしまった。

 時々たまった贅肉をひっつかんで恨めしそうににらんでみるけど、現実は非情だ。

 

 

 母校の陸上部は強い選手が部内に1人~2人居て、関東大会や全国大会に出場するくらいのレベルの学校だった。つまりそれ以外の選手は県大会や地区大会で3年間を終えることになる。

 見学に行ったとき、短距離ブロックにはいかにも速そうな人たちが集まってレベルの高そうな練習をしていた。中長距離専門だった自分は他校の生徒と混ざって60分間走や1,000mのタイムトライアルに挑戦した。正直、見学期間だけで、足が壊れるかと思った。一緒に練習する学校は県内でも有数の進学校かつ陸上の強豪校だった。

 

 僕のプライドは初っ端からバッキバキにへし折られた。

 

 練習を始めて数日たって、スポーツ選抜で学校に入った新入生に話しかけられた。中学生時代のシャトルランの回数を聞かれて答えたら、「え、そんなんで長距離やるの?」と言われた。

 

 ぶん殴っても殴り返されて退学になるだけなので、笑ってやり過ごした。

 

 それ以来、必死に練習についていった。夏合宿や冬合宿を耐えて、練習相手の学校の仲間と仲良くなって、しのぎを削った。自分の学校の中長距離部員はいつの間にか練習に来なくなってしまった。

 

 2年生になって初めて陸上の大会で1着を取り、それ以降大幅に記録を伸ばした。

最後の大会の前には、県大会を目指す1番速い組で1,500mを走れることになった。

 

 結果としては県大会まであと4~5秒足りなかった。あと組の中で5人抜いていれば県大会というところだった。2年間捧げた青春による大逆転劇は中途半端に終わってしまった。

 

アスリートとしての自分はそこで死んでしまった。

 

 じゃあ、その2年間はまったく無駄だったのかと言われてみればそうでもないのだと思う。今でも練習相手だった仲間とは会うし、陸上を続けている後輩には応援にも行った。

 体形が変わってしまった今でも、会社のランニングクラブで走りこんで、先輩や後輩とコミュニケーションをとっている。まさか、その後に会社の後輩と近所で飲みに行くなんてことがあると思わなかった。

 

 何よりも、陸上部の時しのぎを削った友人たちと今でも当時の話をするのが楽しくて仕方がないのだ。多分その時はアスリート時代の自分が乗り移ってるんだと思う。

 

 そんなこんなで、新しい土地に引っ越しても走ることは辞めずに、新しいランニングコースを探しに行こうとうずうずしています。

 

 これからお引越し行ってきます。

 

P.S. 当時煽ってきたスポーツ選抜の人ともその後和解したのですが、

数年後に「金を貸してくれ」と情けない連絡がきたので叱り飛ばして縁切りました。