フィッシュストーリー

 僕は今一人缶チューハイを飲みながら、もとは自分勝手だった音楽を聴きながら、気持ちの整理をするために文章を書いています。

 

 自分は時々エアギターというものをやっている。音楽に合わせてギターを弾く「フリ」をするとパフォーマンス。稀にそれでライブハウスに立つようになった。

 成り行きはそれはもう笑い話にもならないようなきっかけで、大学の『北欧研究会』のミーティングのなかで、「フィンランドでエアギターの世界大会やってるからうちでもエアギターやっちゃおうよ!」という先輩の無責任(?)な一言から始まった大学祭のエアギター企画だった。

初めは完全な内輪企画だったのだが、どこから話が広まったのか、エアギターで活動するエアギタリストなる人々が集まり出し、外部の人たちを巻き込んでしまった。

 「まぁ、大学祭の一企画だしとりあえず、恥じらいをすててやればよいか」という気持ちであったが、いつの間にかエアギタリストなる人たちの並々ならぬ熱意と刹那的なパフォーマンスにいつか魅了されてしまっていた。

 元々、音楽が大好きだったが、楽器の経験など全くなく、軽音楽部や音楽サークルのような雰囲気が性に合わないというか敬遠していたため、自分の知る領域に突如やってきた「ギターを弾くふりだけ」で盛り上がれるという『エアギター』にどっぷりはまってしまった。

 

 いつの間にかエアギタリストに囲まれた私はあろうことか自分からその世界に飛び込んで、「エアギター世界選手権予選」なるものに出場をするようになってしまった。

結果なんてさんざんなものだったが、そこから知り合った方々に誘われてライブハウスでパフォーマンスをすることが出来るようになった。

 

 でも、別にお金を払って観てくれるお客さんがいるわけでもない。自己満足だった。酷い時は観客が全員演者だった。それでも、自分がそれでかつて夢見たステージに立てるならそれでもいいやとステージに立っていた。

 

 そんな中で僕は今日大学祭の企画でステージに立った。後輩から「エアギターの紹介をしたいから是非力を貸してほしい」と。

 後輩のためならと喜んでエアギタリストを集めた。友人たちにもひとしきり声を掛け、親友とネットで知り合った方をどうにか誘うことが出来た。

 今日、僕は全力でたった5分間のステージをやり切った。ただの教室のステージだけど本当に楽しかった。みんなが笑顔でエアギターをしている、観ていてくれる。

 それだけで幸せだった。遊びに来てくれた友人2名に頭が上がらなかった。

 

 親友からは「かっこよかった、めちゃくちゃ格好いいじゃん!!」と興奮気味に肩を叩かれた。彼は20年来の親友であり、好きなバンドも走ることが好きなことも一緒な非常に稀有な人間だった。今まで、予定が合わなくてパフォーマンスを見せることが出来なかったけどようやく3年かけて見せることが出来た。

 

 企画が終わった後に、その親友と一緒にCDを買いに行きそれぞれ好きな音楽を話しながら、居酒屋に入った。

 本来だったらとりとめのない話をするはずだったのだけど、席に着いた親友はちょっと神妙に「自分の眼の状態が芳しくない」ことを話し出した。

 元々、分厚い眼鏡を掛け週に1回は「病院に行くから」といって学校を休んでいた。

お互い社会人になった今でも通院している話は聞いていた。だけど、目は当にのっぴきならない状態になっていたようで、「難しい手術だけど、手術をしないと片目の視力がほとんど失ってしまうかもしれない」と話してくれた。

 そんな中で、今日の僕のパフォーマンスを観て「雄君があれだけ頑張ってるんだから、自分もやれることのことをやらなきゃいけない気になった」と話してくれた。

 

 

 そんな話を聞いて、帰り道僕はずっと半べそをかきながら電車に乗っていた。

今まで自分のために好きな音楽の力を借りてやっていたことが、知らない間に人のためになっていたことに初めて気が付いた。

 親友はマラソンをやっていて、社会人になった今も3時間切りを目指して精進している。僕は過去にテレビ見たマラソンで親友がガッツポーズでゴールした瞬間を見て「あいつがあれだけのことが出来たんだ。自分だって何かできる」と思って尊敬の念を持って日々を過ごしていた。

 そんな友人から宝物のような言葉をもらってしまった。

 

 自分のためにしたことが誰かのためになっていた。それが分かった今、自分はこの文章を打ちながらどう捉えて良いか分からない感情を抱えながら涙と鼻水を垂れ流している。

 

あぁ、もう寝てしまおうか。寝れないな。