1年

昨日で震災から1年が経過したことになるのですね。



(ここからは一個人の意見・話なので、聞き流してもらって結構です。)


私は千葉に住んでいるので、大きな被害にはなりませんでしたが、沿岸部に行けば液状化の被害を受けていた名残が見られ、震災の時のエネルギーの大きさというものを今でも感じます。
(地元の川にも津波の影響で小船が乗り上げていたようです。)


震災当日はとにかく大きく長い揺れが襲い、机の下に隠れることしか出来なかったことを覚えています。
4月から通常に通うはずだった大学の校舎も天井が崩れたり、ヒビが入ったりで、しばらくはまともに授業を受けることが出来ませんでした。



あの時は、東北のことを考えるよりも、頭のどこかで地元の被害を考えることが主になっていました。



そんな考えが大きく崩れたのは夏でした。
家族と北海道に帰省するとき、仙台港近くの七ヶ浜町に寄りました。
あの時のヘドロと潮が混ざったようなあの臭いは今も頭の中にこびりついています。


「復興はほとんど進んでいない。」


大学の授業で何度も聞いていた言葉です。
正直、学校にいるときはピンとこなかったし、仙台の中心部にいても「復興は大分進んでいるんじゃないか…?」と錯覚していました。


しかし、実際は前者の言葉通りでした。
少し海に近づけば、建物は津波が襲った状態のまま。
瓦礫の山はそのまま積み上げられ、放置。


もちろん人が多く住む大都市から復興を進めるというのは最もだと思いますが、「震災から半年の状態では復興はほとんど進んでいない。」というのが私の感想でした。



あれから、半年。
復興は進んでいるのでしょうか…?
遠くにいる私には、その状態はメディアを通じないと分かりません。


そのメディアでさえも震災に関する話はここ最近、影を潜めつつあった気がします。
だからといって、私達はこの震災を風化させてはいけないんだと思います。



「震災はまだ終わっていない。」「完璧な人間などいない。それによって創り出されたものも同じである。」


そのことを考えながら生きていかないと、自然と頭の中から抜けていくような気がして私は少し怖いです。




…なんとなく話が収集付かなくなってきたのでこの辺で終わります。(^^;)